美味極楽メインページthe chef and the sea > Vol.06「晩秋、夜のアジ・カサゴ釣り」編|この想いカサゴへ届くか?
この想い カサゴへ届くか?
the chef and the sea
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ポイントをいくつか移動してもアタリがないまま1時間ほど経った頃、ようやくシェフがカサゴを釣り上げた
海の底で待つカサゴへ
届くか? この想い
船頭も首をかしげる
静かな海に、焦る気持ち
 竿を動かし、糸を巻き上げては再び仕掛けを落とすシェフ。いつも釣りが始まると、完全に自分の世界に没入し、自分から竿を上げて息抜きするようなことはない。ちょっと邪魔してみよう。
――シェフ、カサゴ釣りって、やったことあるんですか?
「カサゴを狙ったわけじゃないけど、結果的に釣れたことはあるよ。浦安に住んでいた子どもの頃、防波堤でよく釣りをしてたんだ。といってもちゃんとした道具を使ってではなくて、釣り人が落としていった糸や針をその辺の棒っきれに付けただけの、その場で自作した仕掛けでね。ハゼやサッパとか結構釣れたもんだよ。そんな中ではカサゴは大物でうれしかったね。そういや、割とわけなく釣ってたな。今日、なんで釣れないんだろ。ルアーの角度、これで合ってんのかな。そもそも、ちゃんと底、取れてんのかな」とシェフは首をかしげる。
 ごめんなさい、シェフ。本当に邪魔してしまいました。
 今回で6回目の釣行となるこの企画は、めでたくショウサイフグの大漁(おおむね)で始まった。以降、管理釣り場で釣ったアマゴは別として、オイカワ、ヤリイカ、アユと多彩な釣りを満喫しているが、そういえば、釣れ過ぎてウハウハという状況は味わっていない。どちらかというと”落ち着いた“
”穏やかな“”大人の“釣りを楽しんでいる。はっきり言ってしまえば、そんなに釣れていない。
 いつも釣り場へ向かう道中で、編集担当のU氏は話す。
「今回の釣りは結構釣れるはずなんです。たぶん2〜3時間もしたら、もういいかなってなると思うんですよ」とか。が、今までそんなことになった記憶はない。クーラーボックスが大きすぎたかな、って感じにはなる。シェフも橋の上で言っていた。
「もうU氏の話は信じない」と。
 波がなく、そよ風が心地よく、空気が澄んで夜景もクリアに見える最高に気持ちいいこの日、カサゴ釣りの達人である船頭さんは、自身もしばしばキャスティングしながら、しきりに首をかしげてひとりごちる。「魚、いないな……」。こんなことは長い経験でも初めてだと言う。
「カサゴなら、やっぱりアクアパッツァは作りたいよなあ。身がすごく上品で、骨にもうま味があるから、丸ごと使いたいし」
 つい数時間前、釣果を使った調理メニューの予定について聞くと、シェフは楽しそうにそう話していた。もはや、遠い日の記憶。
「よぉし!」
 そんなときに、舳先にいたシェフの声が高らかに響いた。振り返ったシェフの手には、「あれ? エサじゃなかったの?」とまん丸の目を見開いた小ぶりのカサゴ。シェフ、満面の笑み。ひとまずミニアクアパッツァ、確保。
 シェフはたて続けにアジも釣り上げた。10時まで粘り、この逆境の中でも3人でカサゴ11尾とアジ2尾をものにした。ひとり気を吐いたのは8尾を釣った編集担当U氏。ありがたいけど、悔しい。未確認だが、シェフとこの気持ちは一致していたはずだ。
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波も風もなく、船がほとんど揺れないベストコンディションと思われたこの日、肝心な海の中の魚の状況は……。「でも、釣れる人は釣れるはず」とシェフは前向きだ
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最後は横浜ベイブリッジのたもとでトライした。ライトアップされた巨大橋を眺めながらの釣りは、気分爽快
その特別なスパイスを
料理人は知っているか?
「いやー、今回の釣りは苦労したねえ。でもおもしろかったなあ」
 翌日、パッソ・ア・パッソで再会したシェフは、妙にスッキリした顔で料理を楽しんでいた。
――あとで聞きましたが、いつもは20〜30匹はざらに釣れるみたいですよ、あそこでのカサゴ釣り。ちょっと不運でしたね。
「不運とは思わないな。現にU氏は8尾釣っているわけだし。狙うポイントとか、ルアーの動かし方とかちょっとした差なんだと思う。どんな状況でも、あれこれ考えて、方法をいろいろ試して、なんとか釣る。そこが楽しいんだよ、釣りは。ほら食べてみなよ」
 さくっとした衣の中にジューシーなアジとベーコン。思わずビール! と叫びたくなる旨さ。そして、カサゴの肝……イケます!
「カサゴって肝もすごくいい食材なんだよ、肝和えをなめんなよ。はい、アクアパッツァできあがり」
 もうもうと湯気を立てて登場したカサゴの立派なアクアパッツァ。会えてよかった。ドライトマトのうま味とケッパーのほどよい塩気をまとったカサゴの身は、もっちりしていて深い味わい。
「カサゴ本来の旨さに、自分で釣ったっていう特別なスパイスも効いている。そりゃ、旨いさ! 誰かの苦労のおかげで、魚が海の中からやってくる。それを現場で体感していることが、料理人にとって大切。幸せな経験だよ」
 カサゴもシェフに調理されて本望なはずだ。
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